キャンパスハラスメント防止研修会に参加しました。

本日本学大講義室で開催されたキャンパスハラスメント防止研修会に参加しました.

研修会では,NPOアカデミック・ハラスメントをなくすネットワーク代表理事・奈良県立医科大学の御輿先生の講演「ハラスメントのない大学づくり」があり,実際に起こった多くの事例を紹介していただきながら,ハラスメントをなくすために大学がすべきこと,構成員がなすべきことについて解説していただきました.

「ハラスメント」という言葉を聞くと,内田先生の文章「呪いのコミュニケーション」(『子どもは判ってくれない』文芸春秋(2006))を思い出します.これは,田口ランディ氏の「呪いのことば」というエッセイを引用しながら書かれたもので,特に強く記憶に残っています.読み返しながら,印象的な箇所を拾い上げてみました.

「ハラスメント」というものも,おそらくはほんらいは「それにきっぱりと答えることのできない種類の問いかけや要求を,身近にいる人間から執拗に繰り返されることによって,生気を奪われ,深い疲労を覚えること」という事況をさしていたのではないだろうか.

しばしば,「呪い」をかけている人間自身は(意地の悪い教師がそうであったように),自分の行動を動機付けているのは教化的な善意だと信じている(場合によっては「愛情」だとさえ).

「ハラスメント」的呪詛の根にあるのは,「他人の生き方に影響を与えたい」という「関係への渇望」なのではないかと私は思う.

「呪いとしてのハラスメント」を,日常的にそれと知らず行っている人間たちに共通するのは,この「コミュニケーションの欲望への節度のなさ」ではないかと私には思える.

他人を愛し,その身を気遣うという配慮の気持ちと,「こんなにおまえを愛し,気遣っているのに,どうしておまえにはその真意が分からないのだ」という他者を縛りつける「呪いの言葉」のあいだには,ほんとうにわずかな距離しかないのである.どこまでが「愛と気遣い」であり,どこでボーダーを踏み越えた「節度を失ったコミュニケーションの要求」が始まるのかを一義的に確定することはおそらく誰にもできない.

さしあたり私たちにできるのは,愛着と呪詛の境界線がかぎりなくグレーであるという事実を見つめること,もし「深い疲労感」を与える人間がいたら,その人は「呪い」をかけているのだと知ること,そして,できうるかぎりすみやかにその関係から離脱すること,これに尽きると思う.

キャンパスハラスメント防止研修会
キャンパスハラスメント防止研修会

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