学びについて(再び)

学期末テスト期間も終盤に差し掛かり,修論審査,卒論提出・発表会,入試,等々,学内では行事が目白押しです.研究室の修士2年生,学部4年生達も,文字通り目の色を変えて,ラストスパートをかけているところです.

論文を纏める段階ではじめて自分が何を知ろうとしていたのかに気付くことがあります.彼らもそれを体験しているのではないかと思います.それ自体は決して悪いことではなく,そもそも「学び」とはそういうものだと考えたほうが自然なのかもしれません.内田先生曰く,

私たち自身が経験的に熟知しているように、私たちの学びへの意欲がもっとも亢進するのは、「これから学ぶことの意味や価値がよくわからない」のだが、「それにもかかわらずはげしくそれに惹きつけられる」状況においてである。

(中略)

扉の前に扉の向こうに何があるか、自分が進む廊下の先に何があるのか、それを学生たちは事前には開示されていない。自分の判断で、自分の手でドアノブを押し回したものだけに扉の向こうに踏み込む権利が生じる。どの扉の前に立つべきなのか。それについての一覧的な情報は開示されない。それは自分で選ばなければならない。(内田樹)

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中