教育の自然なかたち

内田先生のブログで,久しぶりに,「引っかかる」言葉に出会いました.

「教わりたい」という人がおらず、「教えたい」という人だけがいるというのは非合理なんじゃないかと思った。でも、「合気道を教わりたい」という人が何人か集まって三顧の礼を尽くさないと「教えない」というようなことを条件にしていたら、合気道は永遠に普及しない。教えるというのは本質的に「おせっかい」であり、無人の道場で「教わりたい」という人が来るのを待っているというのが、あるいは「教える」ということにおいてはごく自然なかたちではないのか、とそのとき思った。

引用元: 内田樹の研究室.

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